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建築は、時としてそのつくり手を刺激することがある。敷地を見、条件を読み、スキームを重ねるごとに現れてくるものに。     国有林を背に約1.300坪の敷地は、港町神戸に相応しい北野町の最頂部、神戸を一望する位置にある。門を入ると、中央にロータリーを配し、奥にはテニスコートをもつ。石畳のスロープを登ると施主の家があり、そこは戦後の神戸の繁栄を目の当たりにするような場所だった。 相続の問題から余儀なく進められたこのプロジェクトは、賃貸集合住宅を建設する計画で始まった。しかし、亡くなられたご主人の思い出が残された生活像を、できる限りそのままにしたいという施主からの要望は、終始一貫したものであった。
  それを受けとめ、「建築する」という行為を改めて考え直し、敷地にかかわる記憶と、建設される建物とを共存させることを第一の目的とした。  注意深くそっと置くように、湾曲した柱で建物を浮かしている。「住宅」というよりは、ここからの景色を一望する「観覧席」に見立て、よりオブジェクティブに置くことによって、敷地に残る記憶との距離を図ろうとした。 記憶の共存という観点から、全ての中心となるロータリーの動線であるスプライン曲線を取り上げることによって、敷地と建物との共通点を見出し、建物の外郭線を形成した。その線は、地上より浮いた居住部分を巻き取る壁となる。
  「人の動き」「光の動き」「風のながれ」などの生活リズムを織りなす任意の線が、内部を区切り、間仕切りとなる。ここでは同じフォルムをもった柱が連立している。それによって、建物のもつ意味を断片化し、多義性を表そうと考えた。  設計のプロセスでは、敷地の状態、計画の諸条件、構築過程の中で自然発生するものなどから取り上げた任意の線でスキームを重ねる。そうすることで、建物の全体から部分までを支配する必然性が生まれ、自律性が備わるのではないだろうか。
  つまり、建築はある時点からつくり手と向かい合うのだ。この状態になった建築を、私はオブジェクトと呼んでいるが、できあがったオブジェクトは建築家の知覚をも刺激し、建築家から離れていくのではないだろうか。  敷地から取り上げたスプライン曲線が、つくり手から再び離れるとき、それは人間的な時間の流れを醸し出し、気持ちのよいスケール感の場所をつくり上げる。そして建築にはオブジェクトとして存在する力が備わるだろう。
  現代の少し過剰ともいえる都市論、次の時代を担うためにと頑張っているプランナーたち、はたして建築家は、これまでそんなことで啓蒙してこれたのだろうか。そんな疑問をもちながら、私はやはり形にこだわり続けたい。

P.S 阪神淡路大震災  被害無し・無傷。